「ここに、自分のすべてを置いていく」最先端の現場で、コバヤシタケルが見据える未来。 – BIRDMAN メンバー紹介 Vol.3

okamoto | 2014.7.18

現場システムやデバイスの制作のみならず、あらゆる分野を得意とするコバヤシタケルさん。15年間のフリーランス活動を経て、2014年BIRDMANに入社。「この業界を引退するつもりでBIRDMANに入った」という衝撃的な発言により、インタビューは予想外の方向へ。
タケルさんが見据える、彼自身の未来とは?

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インタビュー:岡本真帆 撮影:竹内冠太 協力:伊藤拓郎、山田繭、横川遥


音楽がやりたくて東京に飛び出した、好奇心旺盛な19歳


− タケルさんは昔から「つくること」が好きだったんですか?

もともとはつくるというより、モノがどういった仕組みになっているのかにすごく興味があって。小学生の頃から機材を分解して、また戻して…というのをひたすら繰り返してましたね。
システムコンポがどうしても欲しくて、気づけば祖父が大切にしているカラオケ機器をノコギリで真っ二つに切ってた (笑)。「スピーカーとデッキの部分を分解して、コンポを作ろう!」と。結果、成功もせず、戻すこともできず…。

− 中学以降はどんなことをやっていましたか?

ほとんど音楽ばかりやってたなあ。中学のときはギターをやって、高校に上がってからはドラムとかギターとかベース、キーボード…

− え!すごい!全部やれちゃうんですか!

人が足りていないパートを、「しょうがないから俺がやるよ」って(笑)。助っ人みたいにいろんなことをやるうちに、できる楽器も増えてって。

IMG_0166高校卒業後は音響工学を学びたいな、と専門学校に行こうとしていたんですが、たまたま受けた青森の大学に受かったので、そっちに進学しました。でも、まったく講義に興味がなくって(笑)。バンドばっかりやってて、単位が足りなくなって。見事一年にして留年が決定しそうになったときに、「やっぱり音楽がやりたいから東京に行きます!」と宣言して、辞めちゃいました。

− 東京に出たのはいくつのときですか?

19歳です。秋葉原でゲーム販売のバイトを見つけて、面接に行ったら「うち楽器も扱ってるよ」という話になったので、そこの中古楽器屋のバイトを5年くらい。秋葉原ということもあって、機材好きには天国のような場所だったなあ。
その傍ら、ライブ活動をしたり、ジングルや効果音を作ったりマニピュレーターをやったりと、音楽漬けの毎日でしたね。

音楽を中心に、やりたいことをやっていたら今の自分ができた


− そこから今の業界に移ってきた転機ってなんだったんですか?

1990年ぐらいかな。僕が24歳の頃、映像編集が自宅のPCでもできるような時代になってきて、自分たちのバンドのPVやライブで使う映像を自分で作りたい衝動で、映像編集やCGを独学で覚えました。その後すぐに“マルチメディア”の波がやってきて。コンテンツを触ると、曲が流れたり映像が流れたり、アニメーションしたり、情報が見られたり。今でいうWEBコンテンツをCD-ROMの中に詰め込んだようなもの。まだインターネットが発達していなかったので、自分でプログラムを覚え組んで自分のバンドのコンテンツや作品を詰め込んで配布したり、売ったりしてました。

− それが今の原点なんですね。

音楽の仕事だけじゃ食えなくなってしまったので、マルチメディア制作会社に入りました。でも、自分のスキル不足が原因でその会社での最初の仕事が事故ってしまって。会社に結構な損害を与えてしまったんですよ。

− えっ!それは大変ですね…

とにかく自分の不甲斐なさと申し訳ないという気持ちで、必死に技術を覚え仕事しました。気づけば、ご指名をいただけるレベルになってきて、1999年に会社を辞めてフリーになりました。その後インターネットが発達してWEBコンテンツが出始めたので、その流れでFlashの技術を習得して、WEB業界に移っていきました。

   

   


− タケルさんは「業界では知る人ぞ知る有名人」というポジションだと思うんですが…そういう風に言われ始めたのって、いつ頃からなんでしょうか?

いや、それはどうなのかな?周りが勝手にそう言ってるだけだと思う(笑)。
その当時はそこまで最先端のことはやってなかったんだけど、仕事がとにかく早かったから、口コミで仕事をいただけるようになりました。中には「事故っちゃう寸前なのでコバヤシさん、お願いします!」みたいな案件もあって。1ヶ月かかる仕事を3日でやるような。ここでは言えないような修羅場をくぐり抜ける中で、経験値がどんどんたまっていったところはあるかもしれません(笑)。

− なるほど!タケルさんには、「この人にお願いすれば何とかなるだろう」と思える安心感や、
スピード感があると思うんですが、フリーの頃の経験が今に繋がっているのかもしれないですね。


ターニングポイントは、イギリスのVJイベント『AVITUK05』


− intelの『PUSH for Ultrabook』やCEATEC2013で展示されたHONDAの巨大ヤカンといったデバイスやセンサーを使った制作に携わるようになっていったのはいつ頃からですか?

ターニングポイントは、2005年だと思います。
2000年から、29970(ニキュウキュウナナゼロ)というクリエイティブチームに所属しVJをやってたんです。2005年にAVITUK05というイギリスで開かれたVJイベントに、縁があり自分たちも参加することになり。そこで“インタラクティブVJ”をやろうと企みました。

− それはどんなものだったんでしょうか?

スクリーンの前に立って、スプレー缶型デバイスでお絵かきをすると、グラフィティが映像的に派生していく、というものです。スプレー缶型デバイスの中にはセンサーが入っていて、角度や位置を把握できる。そのデバイスを作ったり、専用のプログラムやシステムをつくったり。表現するための手段としてデバイスやセンサーにのめり込んでいきました。

フリーを辞めてBIRDMANに入社したのは“PUSH”がきっかけだった


仕事ではWEBの案件から現場の案件にシフトしていきますが、それまでのアウトプットはディスプレイだったりスピーカーや照明だったり。でも、なんだか物足りなくなってきてしまってて、いつしかソレノイドやモーター、エアーなどを使ったりして“モノを動かす”ことに少しずつハマっていきました。そんな時期にタイミングよく(社長の)ロイさんから『PUSH for Ultrabook』の仕事の依頼があって。「コインドーザーつくりたいんだよね。つくれる?」と。ちょうどロボットアームに興味があっていろいろ調べている最中だったので、まだ扱ったことはなかったんですが「じゃあロボットアームでやってみよう!」という話になりました。

− そこからロボットアームの免許を取得されたんですよね。「できない」と言わないところが、タケルさんのすごいところだと思います。

「知らないからできない」というのは、もどかしさがあって。「できるよ」って言えるように陰ながら努力をしています。

− タケルさんがBIRDMANに入ると決まったとき、この業界はどよめいたと思うんですよ。「えっあのタケルさんが!?」って。何か思うところがあったんですか?

04-僕はそのどよめきを知らないけど(笑)、でも実際BIRDMANに入るきっかけになったのは、やっぱりこの“PUSH”だったのかな、と思います。
みんなで一緒に制作を進めていく感じがすごく羨ましかったんです。もちろん自分もその輪の中にいるんだけど、あのとき自分は外注として加わっていたじゃないですか。なんか…外注寂しいなって(笑)。


− たしかに、スタッフが一丸となって制作に取り組んでいたあの案件は特に、文化祭のようでわくわくしました。

IMG_0212_capそうそう。あと、理由はもう一つあって。
他の会社さんからも声がかかることも多かったので、「自分はどこに入ったらおもしろいか?」というのはよくシミュレーションしてたんです。
何かに特化した専門の会社ではなくて、“専門分野の違う人たちがバランスよく集まっているところ”がいいんじゃないかなと。そこに、タイミングよくBIRDMANからのお誘いがあったんです。プランニングからローンチまで、案件をトータルでできる人たちが集まっている。この会社だったら色んな分野の人と何でも作れる、自分のやりたいことがやり切れると感じてフリーを辞めて入社を決意しました。

− 実際にBIRDMANに入ってみてどうでしょうか?

やっぱり、みんなで進めていく感じが、すごくおもしろい。15年間のフリーのときにはなかった楽しさがありますね。コラボレーションではなくチームワーク。
また新しいステージに来てしまったな、という実感があります。

   

   


「BIRDMANに自分のすべてを置いていく」


実は…この業界を引退するつもりで、BIRDMANに入ったんです。

− え!?引退されるんですか!?

入ったばかりなのにおいおいって感じですが、遅かれ早かれこの業界はBIRDMANで最後にしようと考えてて。いつしか引退する以上、今までこの業界で手に入れた自分の知識やノウハウをBIRDMANにすべて託していきたいと思っています。

僕の中の今の大きなテーマが、「何かを残すこと」なんです。生まれてきたからには自分の子孫を残す、みたいな。自分に影響されたスタッフがいたら本望だし。自分のコードやデバイスや思考が継承されていったりするのも面白い。残したものがどう進化していくか、それともどう消えていくかを想像しながらつくってます。
しかし実際にスタッフと仕事をしていると、今まで以上に学ぶことが多いです。これが結構楽しい。自分がまだまだ進化してしまう感じがある。なので引退するのはまだ先ですかね (笑)。

「すべてが興味で回ってるんです」


IMG_0342− 最後に、今後の目標について教えてください。

周りに興味があるものが多すぎて、目標とかいまだに定まらない(笑)。でもこれからも変わらないのは、興味あるものは何でもつくり尽くすことですかね。
すべてが興味で回ってるんです。ただ、それがどうなってるか知りたくて、それ以上のものをつくりたくって。
それは昔も今も変わっていないところです。









コバヤシ タケル・Technical Director / Device Engineer / Programmer
1973年生まれ。福島県会津若松市出身。映像、音楽、WEB、システム制御、デバイス、メカトロニクスと、ソフトウェアもハードウェアもmakeする両刀使いディベロッパー。
15年間のフリーランスを経て、2014年1月BIRDMANに入社。これまで担当した案件は『PUSH for Ultrabook』(intel)、『オンガクの結晶 〜ULTIMATE EXPERIMENCE』(SONY)、『KIRIN DREAM RACE』(KIRIN)、『「CanCam」電車連動サイネージ』(小学館)など。


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